2003/11/8



パスカルの言葉(完全版)


古代史関係の本を読んでいてつい感じてしまうのは、どうしてもルーツに話題が集中しがちであるという点についてです。尤も、これはある意味では仕方のないことだとは思っています。アメリカ黒人奴隷のルーツを描いたキンタクンテ(クンタキンテだったかな)の物語が世界中でヒットした(のはもうずっと前でしたね)事実は、自分が何処からやって来たのか知りたいという欲求は誰でもが心に持っているのは当然の事であるという証明なのかも知れません。しかし、それにしても古代史関係の内容に関しては、どうしても不満が燻ったままに残っているのもまた事実なのです。


古代における朝鮮半島との関係については、地理的近さから見ても相当深いものであったと想像できますし、事実その通りであったはずです。当然ながら、この地域での深い関係という考察について異論などあろう筈がありません。しかし、何故彼らはわざわざ日本へやって来たのだろうかという「基本的な何故」に対して、正面から答えているものに今まで出会ったことが無かったのでした。


例えば、私が目を通したいくつかの本では、それぞれか対象についてかなり詳細に調べ上げられていました。しかし「〇〇は朝鮮がルーツです」で締めくくっているパターンがほとんどだったのです。これではまだ知りたい事の半分でしかありません。この時点で終了する事が出来るのか私にはどうしても納得が出来ませんでした。これでは、外国とは全て「とつくに」であると言っていたレベルと、基本的には何一つ変わっていないように思えてしまうからです。


何処の国にも歴史があります。そして彼らは、大地に生き、様々に混じり合って歴史を作ってきたのです。別の土地からやって来て土着した場合も同様です。人間とは、個人個人は限られた命しか持っていないのです。でも命を子孫に伝え続ける事が出来たからこそ現代の私達が存在しているわけなのです。このような当たり前の「体温」とか、生きていくための「痛み」に関してあまりにも無関心であるように感じられてしまうのです。人間もまた動物の中の一人であるという基本的な認識に欠けているように感じられてしまうのです。人間は細胞分裂して、勝手に自己増殖をしていくわけではないのですから。


ある対象を歴史的に見てみると、どのような流れがあるのか知りたいと思うのは当然だと思います。例えば、ある風習は南方系からの流れによって形成されたものとか、北方系の風俗が混じり合っているので更に原型は何処にあるのかを求めてみる、などの態度が必要だと思っています。しかし、その行為が朝鮮、あるいは中国という地点にたどり着いた時点で終了してしまうのは、ある意味では作為的なミスリードだと言われても仕方がないように思っています。


古代において朝鮮半島では小国が乱立していました。小さい空間ではかなり早い時代に、その社会でエスタブリッシュメントが形成された可能性は非常に高いと思っています。もっとも小さい集団では、富の再分配においてそれほどの差が出る可能性はありませんから、ここから反対の理論を構築する事も可能だと思っています。いずれにしても、既得権を手にした層はその利益を手放すはずがありません。ですから、成り上がろうとする者達を迫害、あるいは差別したであろう事は想像に難くありません。この場合、はじき出された異分子が海を越えようと危険な賭に出たとしても、それは自然な行為だろうと思っています。また、統一に向かう過程で征服された国で既得権を謳歌していた層とは、つまり奈落の底に突き落とされた事と同じです。同様に彼らもまた、一か八かの渡航に踏み切った可能性もあり得ることだと思っています。


しかし、いずれにしても、これらの動機とは能動的なものではありません。逆に仕方なく選択した受動的理由と言うべきなのではないでしょうか。私はこの認識の方が正しいのではないかと思っています。つまり、彼らは平家の落人(のようなもの)なのです。最近の言葉で言えば、「難民」がこれに相当すると思っています。あるいは「亡命者」と呼んだ方がいいのかも知れません。古代史を調べていると、このような素朴な疑問について、何故かわざと隠蔽しているように感じてしまうのです。


現代の私たちでも、今の生活を投げ打ってまで新しい世界へ旅立つのはとても勇気のいることです。ましてや、古代においては、その決断は今の私たち以上に鈍ると考えても良いように思っています。何故ならば、彼らが得られる情報は正確性に欠けるのは言うまでもないことですし、玄界灘を乗り切る安全性も、今の基準から見れば相当低いと言わざるを得ないからです。このように、極めて高いリスクがあった事を、もっとはっきりと示すべきだと思うのです。


世界史で言うところの大航海時代が幕開いたとき、アメリカ大陸へ移住したヨーロッパ人は最下層の人たちがほとんどでした。故国にいては一生日の目を見ることが出来ない可能性を持った人たちが、ヨーロッパから新大陸を目指したのでした。それでも彼らの全てが大西洋を渡ったわけではなかったのです。まして、ヨーロッパ人たちは個人レベルで移民したのです。ところが古代におけるそれは、個人レベルではなく部族単位であったと見られていますから、困難さは更に倍増するはずです。


何故彼らは倭国を目指したのか。今のままでは、何故か分からないままに、彼らは倭国を目指しているとしか理解できないのです。戦国時代の話題でも同様なことがよく言われています。戦国大名達は誰でも京都に上り全国に号令をかけようとした、とよく言われています。しかしこれは果たして本当なのでしょうか。基本的には故郷(=母国)にいられなくなった何かの理由があったために、仕方なく逃げてきたと考えるのが自然だと思っています。


古代における交易の影響も又、過小評価されているように感じています。交易商人達は玄界灘を内海として活発な商業活動をしたであろうと思っています。時代は下りますが、倭寇に代表されるように「適した人物達」で構成すれば、当時の船でも十分に活動が出来たのです。この場合は、船乗りに適した人物達で構成されていますから、移民船とは根本的な違いがあります。それでも、船とは現代の技術で作っても沈む場合があるのですから、航海が相当の危険を伴ったものであったのは間違いがなかったであろうと思っています。逆に言えば、この大きなリスクを背負うが故に、莫大な富を手にすることが可能だったのではないでしょうか。


このような交易活動の結果として、文化や文物が伝わったことや、慈恵や鑑真に体表される文化人が訪れた事を、混同している可能性が高いように思っています。ちなみに日本側が先生として招待した人たちが「渡来人」であり、戦乱を避難して逃れてきた人たちは「帰化人」と呼ぶべきなのだろうと思っています。


商業に限らず交流とは、常識的に考えれば一方通行ということはあり得ません。これは必ず相互通行になるはずだからです。朝鮮半島において日本からの痕跡が少ない理由は、この地では新王朝が成立した時に、ヒステリックのように、旧王朝時代の物を破壊した事に大きな原因があるように思っています。それは古代史を調べる上で日本、朝鮮、中国と比べたときに朝鮮の書物が特に少ないことにも現れていると思っています。


「人間は考える葦である」とはパスカルの言葉として有名です。人間が「考える葦」であるところの「思考する存在」として成立するためには、必ず必要になってくるのが言葉です。つまり、言葉によってそれは形成されるものなのです。「言葉」無しには「思考」を構築することは叶いません。この事実からは、言語が違えばそれによって形成される思考の概念が微妙に違ってくる場合があり得る、という結論を導き出す事が出来るのかも知れません。勿論、これには各個人の差もありますが、その人物が属する集団、民族の歴史によっても違いが生じる場合が出てくるのは当然だと思っています。例えば、寒冷地帯に住む人と、熱帯地方に住む人の生活風習に差が出るのは当然のことです。風俗などの違いとは、主に自然環境の違いにより発生したと考えられると思っています。自然環境とは、その土地の地勢・気候・そして、それに基づく動植物の生態などを意味しています。このような環境の上に歴史の連続性が加算されていくのです。


日本語と朝鮮語(この場合は新羅系統語を指す)との関係については、歴史的に見ても世界中の言語の中でも、近い関係にある事は間違いのないところだと想像されています。これは地理的関係から見ても、英語より近いのは当然だと思われます。しかし、東京大学名誉教授の言語学者である服部四郎先生は、「日本語と朝鮮語が仮に同じ源から別れたとしても、その分裂の時期とは今から約七千年から一万年も昔のことである」と述べられています。そして「これだけ古い時代に分離した言語はもはや完全な別言語である」とも言われているのです。


つまり、日本の歴史時代が始まる三千年くらい前の時点において、これら両者は完全な別の言語になっていたという事なのです。日本語と朝鮮語が独立した別言語であるということは、これらの間には類似性よりも差異の方が遙かに大きいという事でもあります。この事実は、古代において日本と朝鮮との関係を夫婦の関係に準えて述べてある事がいみじくも示しているような気がしています。つまり互いに夫婦のように親しい関係ではあるが、兄弟でなく他人であると、いう認識なのではないでしょうか。


聖徳太子が活躍した時代や大化改新が行われたのは、今から約千三百年から千四百年位前に相当します。この時代まで来ると尚更の事だと思われます。日本語と朝鮮語という二つの言語は、さらにはっきりと別の言語になっていた考えられていいと思っています。もはや、通訳無しでは普通にコミュニケーションを取ることが出来なかったレベルと考えた方が自然なのかも知れません。この時に天分を発揮したのが、聖徳太子の語学力なのかも知れないと思っています。


日本人とは肉体的には一般的なモンゴロイドであり黄色人種ですが、肉体的特徴からは民族の差をはっきりと見つけることは出来ません。東南アジアから東北アジアにかけたこの地域に住む民族は、外見からはなかなか判断する事は出来ないのは誰でも知っている事です。その上、この地域に住む民族の数はかなりの数にのぼっています。そのために民族分類として最も一般的なのは、文化を基準にした方法と言われています。これは具体的には言語を基準にする方法の事です。この理由とは、年月を経ても最も変化しにくいのは言語であるという観点からなされているものです。


世界中の言語の数は死語も含めると少な目に数えて四千二百種類であり、多めに数えると五千六百種類にも上ると言われています。これらの全てを系統立てるのはとても難しく不可能だと見られています。しかし、ある一定の成果を上げているのもまた事実なのです。色々な言語間にある文法構造の類似や音韻上の対応、さらには基礎的語彙の一致などから調べていく方法が採られているそうです。その結果として、共通の祖語から分離したものと考えられる言葉であれば、同一語族に属するとされています。現在ではインド・ヨーロッパ語族とセム語族が、はっきりと分かる語族と確認されています。ウラル語に属すると見られていたアルタイ語族は、未確認の部分が多すぎるようです。なおツングース系諸族の言葉はこれに含まれています。


逆に、文字の場合は言語とは異なり、かなり変化し易いものであるようです。文字は言語間の差異や民族の別を越えて伝播し易いものなのです。または、ある時点で個人の発意によって作成されることがあるように、容易に廃止される場合もあるのです。文字の起源を見ると、ほとんど全ての文字はエジプトとメソポタミア付近にたどり着く事が出来ると言われています。これは大部分の文字は、直接あるいは間接的に、この地方に関連づけて考えることが出来るということです。さらに、漢字は独自に発達したものと考えられています。しかしトンデモ的に言えば、殷の戦車がシュメール発祥のものである点から見ても、独自に発達したものではなく同様の可能性が高いのではないかと言うことも出来ると思っています。


三つ子の魂は変わらないとの格言通りに、なかなか変化しないものに民族の風俗、風習があります。英語が世界共通語になった理由とは、まさにそれが該当するのではないでしょうか。世界を征服した彼らは、自らの言語をあくまで変えようとはしませんでした。その他ではフランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語が地球規模で広がった理由も同様です。特にスペインの南米征服は、それまで存在していた文明までも徹底的に滅ぼした事でも有名です。


大量の移民がまとまって一カ所に入植した場合は、その民族・集団のコミュニティが必ず出来ると言っても差し支えないと思っています。例えば、北アメリカや南アメリカに移住したヨーロッパ人達は、新大陸でヨーロッパを再現させてしまいました。これは、世界中の大都市の中にある中国人街のようなものをイメージしてもらっても良いのかも知れません。集団生活を営める慣れ親しんだ空間があれば、人間は敢えて自らの言語や風俗を変えようとはしないものなのです。こうして、言葉に代表される風俗、習慣は生き残って行くものだと思っています。まして支配者(=征服者)が自らの風俗を変える可能性は極めて低いと考えた方が自然だと思います。このような場合は支配者層と被支配者層の間で二重言語が形成されるはずです。


思想とは言葉によって形成されるものですから、それらの言語を使用する民族の間には、文化史的に何かの関係があるとみても不自然ではないのです。日本語の語順は北方的特徴を持っていると見られています。この点から見ると日本語は朝鮮語と同じです。しかし、日本語の基本的語彙は南方諸語と親近性を示しているのです。ところが朝鮮語ではそれを示してはいないのです。この点が日本語と朝鮮語が決定的に違うところだと言われています。具体的に言うと日本語はインドネシア語、カンボジア語、台湾高砂族のアミ語、パイワン語などと、基礎語彙において、確率論的にしばしば偶然以上の一致を示すとされているのです。ただし百済語と高麗語は、新羅語より日本語に似ていたのではないかと言われています。しかし残念ながら資料が少なくて、憶測の域を出ない段階のようです。


要するに、これは日本人とは朝鮮人よりもさらにハイブリッドである事を示しているのではないかと思えるのです。言い方を変えれば、朝鮮からの因子(=血筋)は日本人を形成するそれの、ワン・オブ・ゼムであるという事なのではないかということです。この事は、朝鮮からの因子は日本社会において絶対多数を占めてはいない、という事でもあるのです。しかしながら、これが重要な因子であるのは間違いのない事実です。


金田一春彦先生は「日本語とはスタンドアローンかも知れない」と述べられています。これは先ほどの事とほとんど同じ事を言われていると理解しています。日本語はアルタイ諸語との関係が深いとされていました。しかし、この語族の場合は語彙からみると相互にかなり違っているのです。はっきりと分からない部分が多過ぎるため、同じ源から出た同系語かどうか疑問がもたれているほど不確実だという事です。また、これと日本語や朝鮮語との語彙の隔たりもかなり大きいものがあります。つまり日本語と朝鮮語との距たりもまた大きいのです。


「日本語と朝鮮語との間には必ずや密接な繋がりがあるはずだ、と信じていて多年にわたってこの二つの言語の比較研究に従い、一般の人々の期待に応えるほどの結果を納めようとしたが、事実は予想に反して研究を進めるに従って疎遠なものであった」と深く東洋史学を研究された白鳥庫吉先生は述べられています。もし、歴史時代以降に朝鮮からの勢力が日本を席巻したような事実があれば、その痕跡として現在の私たちの言葉になっているはずです。


世界の四大古代文明に見られる共通点とは、「肥沃な耕地」などを代表にしていくつもありますが、その中でも「文字の発明」は特に重要なものとして挙げる事が出来ると思っています。もしこれらの地域よりも、地理的環境において例え恵まれていた場所があったとしても、「文字」の発明を成し遂げる事が出来なかった「文明」は、さらなる発展をすることが難しかったように感じています。それは先人達の貴重な「情報」の蓄積を、次の世代に伝える事が非常に困難だと言えるように思われるからです。記録された「文字」がない場合には、何かの拍子に今までの情報が途切れてしまった可能性が極めて高いと言えるのではないでしょうか。


情報の蓄積が無い場合には、人類の文明はその階段を上がっていく事は困難だと想像がつきます。恐らく将来には発掘作業が進み、世界四大文明よりも更に古い「住居跡」を世界中に見つける事が出来るようになると思っています。勿論、「語り部」の情報の方が「文字」に因るものよりも、遙かに優れている点が数多くある事もまた事実です。これは「文字としての情報」と「音声としての情報」の差でもあります。いずれにしても、文字に書かれた情報とは、「語り部」が伝えるものよりも容易に後世に残る可能性が高い事を誰も否定する事は出来ないと思っています。何しろ「人間レコーダー」である「語り部」とは生身の人間ですから、不慮の死や天変地異、あるいは戦争等によって彼らの持つ情報はあっけなく断絶してしまう可能性が極めて高いからです。


一方の文字情報も、「物事の様子」を細部まで形容すには十分ではないように思われます。何故ならば、文字に表された情報とは「様子」のかなりの部分を削ぎ取ったものであると言えるからです。これは正確な姿の何分の一かを伝えているに過ぎないと同じ事でもあります。これが「文字情報」の限界だと思われます。しかし、情報が蓄積されてこそ初めて「文明」が進歩するものであれば、やはり「文字」の役割の偉大さを否定することは出来ないと思うのです。世代を容易に越えて伝播する能力に関して言えば、「人間レコーダー」である語り部の「音声」はどうしても「文字」に比べると劣ってしまうと言わざるを得ない、と感じられてしまいます。


「文字による情報」の基本的な部分と、「語り部」による「より高密度の情報」がミックスされた状態こそが最良のものなのかも知れないと思ったりします。動画までも記録する事ができる環境にある現代に対して、未来人は、私たちが「古代史の謎」に抱くようなロマンを湧き起こらせる事は無いのかも知れません。


古代中国人の偉大な発明を一つだけ挙げろと言われたのなら、「漢字の発明」こそが相応しいのではないかと私は思っています。漢字は「表意文字」と一般的には言われていますが、ネイティブ・スピーカーの中国人(ちょっとアバウトな表現です)にとっては、物事の意味を表すと共に「音」もまた同時に付加された「記号」でもあるのです。漢字におけるこの「音」の部分の比重の高さを、私たち日本人の感覚ではどうしても見落としてしまいがちになってしまうように感じています。つまり漢字とは「意味」をもった「音」を表す記号そのものなのです。


ちなみに漢字は紀元前千五百年頃に発明されたと言われています。一般的によく知られているように、これは象形や指事から発達しました。その特徴とは一字が一音節であり、かつ特定の語義を表すところにあると言われています。簡単に言えば「形」・「音」・「意味」の三要素から漢字は成立しているという事なのです。


漢字は一世紀頃には日本へもたらされたと見られています。これ以来「かな」が発明されるまで、日本では漢字を唯一の文字として言語活動が行われてきたのです。そして現代に至るまで、漢字は日本語の中で極めて重要な地位を占めていると言っても過言ではありません。もし漢字が日本に伝わっていなかったら、日本語の表記は現在のものとは大きく隔たったものになっていたであろうとは誰でも容易に想像がつくはずです。


当然の事ながら、これは日本語の語彙の面でも多大の影響を及ぼしています。いかにこの文字が私たち日本人にとって、生活に深く根付いた必要不可欠の存在である事を改めて思い知らされています。漢字を発明した古の中国人の偉大な才能に対して、いくら感謝を捧げても足りないように感じています。


漢字の輸入によって訓読みや万葉仮名の用法が発達していきました。九世紀に入ると万葉仮名を簡略化する事により、日本独自の表音文字である「平仮名」や「片仮名」を生むに至ります。これは日本人の先人達がとても柔軟で素晴らしいアイディアに富んでいたからこそ生まれたものだと思っています。万葉仮名は、漢字のもつ意味とは全く別に(というかこれを完全に無視して)音だけを取り出して、日本語を「表音的」に表記する道具として使われた記号です。ちなみに字音を借りたものを音仮名といい、和訓を借りたものは訓仮名といいます。この用法が万葉仮名と名付けられた理由とは「万葉集」での用法が特に多彩であったためです。


さて、この万葉仮名で表された古事記とは、「語り部」達の伝えて来た「言葉」をそのまま「音」として書き写した(記録した)ものではないかという説があります。これは私にとっても大変興味深い内容であり、とても暗示的に思っています。「読んで聞かせる」という意図の下に造り出された用法が、「万葉仮名」ではなかったのだろうか、という意見はとても説得力があるように感じてしまうからです。


それは音声を伴う言葉には「不思議な力」が宿るという「言霊信仰」を持つ私たちの祖先が、ただ単に内容を伝えようとするのではなく、「音声」を「保存」するために考え出した方法ではないかと思われて来るからなのです。つまり文章として意味を書き残すのであれば、「漢文」として書いた方が万葉仮名で書くよりも遙かに易しいように感じるからです。(思いっきり勘違いをしているかも知れませんが)


また、漢字の「原音」は日本語の音韻の影響を受けて、日本独自の日本字音と変化して行きました。これは漢字の日本語訳である「訓」とともに、日本語文を表すのに使用されるようになって行きました。このようにして、日本語の語彙は増加していったものと推測しています。逆に近代以降に入ると、中国や韓国では欧米の文物を翻訳する手段として、まず「日本語訳」になっている書物から、自国向けの言葉へと更に翻訳していくルートが確立されて行くようになります。これについてはあまり言われていませんが、欧米のものが漢字文明圏に伝わっていく過程に関して日本語は大きな役割を果たしているのです。


新しい未知の単語を訳すのはとても大変な労力を要します。これを省いて中国や韓国で比較的容易に自国語に翻訳する事が出来たのは、すでに日本語訳が存在していた点が最も大きな理由なのです。このようにして日本語は隠れた貢献をしている事実もあります。


ところで日本語の特徴を見ると「同音異義語」の数が極めて多いことに気が付きます。これは単語の発音だけでは何の意味なのか分かり難いという事です。つまり、日本語の言葉とは文章全体から理解して行かないと意味を取り違える可能性が高いという事なのです。特に文字として表した場合にはそれが特にはっきりするはずです。もし「漢字」を使わずに「仮名」だけで書かれた文章があるとすれば、私たちはとても読みにくく感じるはずです。「仮名」だけを使った文章は、なかなか理解出来るものではありません。このような文章は非常に分かり難いものになる事は明白です。


同音異義語が非常に多いという特徴を持った日本語を、文字で書き表す場合に「漢字」とは正に打って付けのアイテムであると思われるのです。私たち日本人は、漢字の持つ本来の発音を忠実に再現する事は出来ませんでしたが、漢字を使用する事によって、日本語の文章の意味をより分かりやすく表現する事が可能になったのです。私は、漢字のような文字は日本語のような同音異義語が多い言葉にこそ、最も相応しいのではないかと思っています。


中国大陸で話される言語は北京語が公用語とされています。最近は北京語を「中国語」と表現してある場合が多いのですが、この表現はアバウト過ぎるように感じています。広東語、福建語、上海蘇州語、客家語などは「方言」と呼ばれていますが、その実体は英語とフランス語ほどの違いがあると言われています。ユーラシア大陸の西の外れに興ったヨーロッパ文明圏は、その空間的な大きさを見ると中国のそれと大体似たような規模になります。これは条件が変わらない場合の人間の物理的行動半径の大きさはさほど大きな違いがない、という点に原因を求めることが出来るのかも知れません。


ヨーロッパにおいては各地方が主体となり、幾つもの国に分かれて歴史が進行していきました。しかし、一方の中国ではそうではありませんでした。もっとも、中国史を見ると統一の時代より分裂の時代の方が長いのですが。しかし、それでも中国においては統一の意識はヨーロッパに住む人たちよりも強く反映されているように感じられます。このように東西の大文明圏が「地方自治」VS「中央集権」というような好対照を示している点に関して非常に興味深く感じています。


現地の言葉を全く知らない私などが広東語を聞くと、これと北京語は全くの別物であると実感してしまいます。これらの言葉が同じものであるとは、「音声」の面からは全く想像がつきません。耳で聞いた限りでは、これらの言葉は「別の言語」であるとした方が私は自然であるように思っています。一方では、広東語はベトナム語やタイ語などの東南アジアの言葉とは、かなり近い関係にあるものに聞こえるのです。少なくとも広東語とベトナム語の方が北京語よりも、遙かに近い言葉だと思われてきます。そう言えば、香港のテレビ放送では一般の人が北京語を聞き取れないために、字幕スーパーがついていました。


ところが発音上は全く異質でも、文字に表すと全く同じものになる(表現をする)というところが「中国語」の特徴だと思っています。この事は漢字の「音」だけを変えて、「意味」「形」を北京語以外の広東語などでも全く同じに使用しているという事になります。つまり漢字の「発音」は北京語、広東語、福建語などで、それぞれ独立して複数存在しているという事です。カエサルとイタリア語で書いたものを、英語の発音ではシーザーと読む事と同じようなものなのでしょうか。


発音はそれぞれに違っていても、文字として表した場合には、全く同じ文章になるという結果を生み出した事こそが、中国大陸の言葉の長所でありまた短所でもあるように思っています。広大な中国大陸に住む人たちに「中国」という一体感を植え付けた最大のものは、「漢字」の存在なのかも知れません。もし、アルファベットような「発音記号とリンクしたパーツの組み合わせで出来た文字」が中国で発明されていたとすれば、北京語や広東語はドイツ語やイタリア語のように独立性をもった別の言葉として認識されていた可能性が高いのではないかと思っています。もしそうであれば、「大帝」が現れて大帝国を作りあげても、ヨーロッパのような形に収まって行ったのではないかと思われます。


漢字はとても難しいと言われていますが、アルファベットで書かれた文字が簡単という訳ではありません。どちらにしても庶民にとって文字は難しいものだったのです。「時世」を表現出来ない、動詞や名詞に同じ漢字を使うために誤読をし易い、などの点がある事を考えてみると、ひょっとしたらアルファベットの方が記録する上では漢字よりも優れている文字なのかも知れないと思ったりします。しかしその様な欠点は、日本語の文章として漢字を使用する場合には見事にうち消されてしまうのです。