2003/10/18



インドラ神の飛礫(完全版)


大気の精霊の息吹が風を引き起こすかのように、その力が一点に凝縮すると雲を生み出すのでしょうか。そして雲は穀物の発育のために、欠かす事の出来ない恵みの雨を大地に注いで行きます。このような大自然の営みが、太古の昔から地球上の至る所で行われてきました。そして、世界四大古代文明の発祥地の一つであるインド大陸においても同様の営みがなされてきた事が、この大地に住んでいた当時の人々にとって壮大な伝説を作り出していくための大きな要因になったように思っています。


インド大陸におけるガンジス川やインダス川の恵みについては、知らない人がいないほど有名です。これは「エジプトはナイルの賜」という代表的な言葉が、広く知れわたっているのと同様だと思っています。また、黄河流域に中国古代文明が発達した事も、同じように自然の恩恵を受けてのものなのです。大陸における自然現象の絶対値の高さとは、日照り、大雨、暑さ、寒さなど、それぞれがどのようなものであろうとも、島国に住む私たち日本人の想像を遙かに超えるものです。その力とは人智の遙かに及ばないレベルであり、自然に対する畏怖を深く刻んだであろう事は想像に難くありません。


一瞬にして、真っ暗な辺り一面の空間を昼間のように照らし出す稲光が、一体何ワットになるのかよく分かりませんが、暗雲の中で放つ稲妻の驚くほどの輝きは、古代に住む人たちにとっては正に神の力が現れたもの、もしくは悪魔の所行そのものに見えたのではないでしょうか。日照りを解放するスコールとともにやって来る、大空を覆い尽くす雷雲の中で、幾度も閃光を発しながら無数に舞う稲妻が、彼らには荒れ狂う悪の竜の姿に見えたのかも知れません。同時に鳴り響く巨大な雷の音は人々の心を震撼させるのに十分だったような気がしています。


当時に暮らす人たちにとって、夜空をまるで真昼のように明るくさせる事が出来るその強力な光に恐れを抱かなかったはずがないと思われるのです。その威力はまさに無限のごとく感じられたはずです。このような感覚が古代のインド人の上に強くのしかかっていたのではないでしょうか。自然の恐るべき力の前には、人間などどうしようもない無力の存在であると、痛切に感じさせられたように思うのです。


リグ・ヴェーダとはバラモン教における根本聖典であると同時に最古の聖典でもあります。これは「賛歌の集成」と訳され、10巻1028歌の韻文からなっています。その内容とは宇宙の森羅万象を神格化し神々に捧げた自然崇拝の叙情詩を主要部分としています。つまり古代のインドでは神々は数多く存在していたのです。これはちょうど日本の八百万の神々に似ているような気がしています。


それらの神々の中で最高神として称えられているのがインドラ神と呼ばれる神です。リグ・ヴェーダの四分の一に相当する部分がインドラ神に捧げられた賛歌になっているのです。その中でインドラ神とは究極の武勇神と見られています。彼は、砂漠化するのではないかと思われるほど際限なく日照りが続いた際に、人々が渇望して止まなかった豪雨を大地にもたらします。そして乾いた河川を水で一杯に満たして、インドの大地に住む人々が命を繋ぐ事が出来るようにしてくれるのです。つまりインドラ神は大雨をもたらす雷神と見られているのです。


インドラ神は英雄神ですが決して聖人君子などではありません。暴飲暴食、さらには粗野な面を多く持つ極めて人間的な欠点をもつ神なのです。しかし道徳的ではなくとも、彼の信者に対しては慈悲深い救済者であり、かつ保護者でもあるのです。この神の特徴とは絶大な肉体的威力をもっていることに尽きると思います。インドラ神はその能力からしてギリシア神話におけるゼウスに比較しうると言われています。インドラ神はバラモン教における最高神ですが、さらにヒンドゥー教や仏教にも彼の名を見つけることが出来ます。ヒンドゥー教では東方を守護する武勇神として祭られています。さらに仏教では帝釈天としてやはり東方守護の神とされています。


インドラ神は暴風神であるマルト神を従えて、水を塞き止めていた悪竜ヴリトラ、つまり蛇型の悪魔を退治する英雄神として、リグ・ヴェーダに描かれています。これによってインドラ神は「ヴリトラを殺す者」とも呼ばれています。工技神トゥヴァシュトリが作ったヴァジュラを投げつけて、ヴリドラを殺すインドラ神の武勲は繰り返し称えられているとの事です。ここで使われたヴァジュラとは金剛と訳されていて、地球上で最も堅い物質の事であるとされています。ひょっとしたら、この物語が遙か西方に伝わってプラトンの耳にまで届いた可能性も十分にあるのかもしれません。彼がアトランティスの物語を語ったときに出てくる地球上で最も堅い物質オリハルコンとは、ひょっとしたらヴァジュラそのものであるかもしれないからです。


またマルト神とは常に一群をなして行動する武勇に優れた神です。彼らは猛獣のように荒々しく進軍しライオンのように大地を揺るがすほど怒号するのです。さらには砂塵を巻き上げ山を震わせ木々を裂くほどの力を保持しています。空中に輝く稲妻の嵐とはまさに竜に見えるのではないでしょうか。


黒雲の中で竜(もしくは悪しき蛇)が暴れているかのように見える時に、まるで大空からばら蒔かれたように頭上に降り注ぐ無数の雹は、最高神が悪竜ヴリトラを退治するために投げつけたヴァジュラをイメージさせるのに十分だったのかも知れません。大空から降ってくるダイヤモンドのイメージこそがヴァジュラのような気がしています。何故ならば、極めて堅固で、どんな物にも壊されないにも拘わらず、人を魅了して止まない光を放つダイヤモンドこそが金剛に相応しいと思うからなのです。


稲妻と雨雲は表裏一体のものであり、同等以上の力を持っていなければ退治=対峙する事など出来るはずがないのですから。 インドでは神や悪魔とは善悪の差こそあれ、人間の力の遠く及ばない存在として捉えられたのではないかと思っています。


古事記における英雄神スサノオの活躍とは色々ありますが、その中でも出雲においてヤマタノオロチを退治する物語はあまりにも有名です。またスサノオは嵐を巻き起こすほどの絶大な力がある神として描かれています。スサノオがヤマタノオロチを退治して、その体内から取り出したと言われる「アメノムラ クモノ剣」(=草薙の剣)もまた、金剛と同様の意味を持っていたものと考えた方が自然です。このスサノオの話とインドラ神の話は驚くほど似ているように思います。彼らはともに自然現象を操る神として描かれており、その能力とはほとんど等しいようなイメージを受けるからです。

スサノオに対して雷神と言うよりも風神のイメージが強いのは、天地創造を感じるような稲妻の嵐がこの日本ではほとんど起こる事が無かったからに違いありません。インドラ神は雷神であり、マルト神は風神ですが、両者の能力とはなかなか分離するのが難しいように思います。おそらくこの伝説が遙か南方から稲作とともに日本にまで伝えられた時には、かなり融合したものになっていたのではないかと思っています。つまり、これは稲作と同時に伝わった人類の古い記憶のかけらの一つではないかと思うのです。日本の文明の源流と言われている中国よりも、さらに古い歴史を持つインダス文明こそが日本神話における英雄神スサノオの一番古い故郷なのだと思われて来るのです。神々への賛歌の歌であるリグ・ヴェーダで称えられている最高神インドラ神が、日本に降臨した姿こそがスサノオだったのではないでしょうか。


このように考えて来ると、ヤマタノオロチを退治した場所が何故「いずも」と呼ばれたのか、あるいは「いずも」と呼ばれたところに「出雲」という字が当てられたのか、という理由もはっきりしてくると思うのです。つまり、スサノオ(=インドラ神=雷神であり風神)が降臨した場所だからこそ、名付けられたものなのです。また、出雲において蛇が決してマイナスイメージではなかった点については、自然現象の厳しさの程度の差によるものだと思っています。


日本における稲作の起源は出雲こそが発祥の地なのかも知れません。何故ならば、大国主(オオナムチ)がスクナヒコナとともに、国造りをしながら全国各地に稲作を広めていったのではないかと見られているからです。さらに「出雲の国譲り」において現れたタケミカヅチノミコトは、アメノトリフネとともに主役を演じていますが、これにも理由があるはずだと思っています。つまり最強の出雲を征することが出来るのは、やはり最強であるという論理だからです。つまり、インドラ神の資質をより正確に受け継いでいる、タケミカヅチノミコトがアメノトリフネに乗ってこそ、その能力を十分に発揮する事が出来るということなのです。そして、この超絶した力の前には抗する事など誰も出来ないのだ、というメッセージが含まれているのだと思われ来るのです。自らをインドラ神に準えると相手が悪竜ヴリドラになるのも、必然だったのかも知れません。


遠く離れたインドの伝説が、遙かに時空を越えて伝わったものが日本の神話の中に数多く散りばめられていると考えるのは無謀でしょうか。しかし、武力の象徴とはやはりヴァジュラだと私には思われるのです。金剛で作られたそれは、最強の名を欲しいままにして日本に伝わり、ついにはタケミカヅチノミコトとして人格化されたのではないでしょうか。つまり、タケミカヅチノミコトを祭る事とは、この国最強の武力を保持している事を高らかに宣言するものだったのかも知れないのです。そして最強の武神は鹿島神宮に祭られているのです。


神話の世界に触れていると、私たちの内なる力が発動して、時空を飛び越えて行く事さえも容易に可能だと思われて来る感覚に覆われる時があります。これにはとても不思議な気持ちがします。遙か太古の神話とは、偉大であり、かつ荘厳な自然現象の擬人化であったと容易に想像することが出来ますが、そのエピソードに重ね合わせるように人間の営みがあったようにも思っています。


古代インドにおける最高神であるインドラ神が悪竜ヴリトラと戦う話が、日本神話における最大のトリックスターである、スサノオのヤマタノオロチ退治に強く投影されているのではないかとは、先ほど書いたとおりです。そしてスサノオを継ぐものとしてヤマトタケルの物語があるように思っています。 竜の形をした悪魔を倒す能力を有する事こそが、最高神の証なのかも知れません。また、それこそが至上の力を発揮した最高神の姿であるのだと言っているようにも思います。


そして最高神の力とは、具体的に言えば「稲妻を自在に操る力」であり、同時に雨や暴風も思いのままに使いこなす事が出来る事だと思えるのです。稲妻こそが裁きの剣なのです。ですから、これを駆使できる者こそが、最高神に相応しい存在であると古代に生きる人たちは考えたのではないでしょうか。この概念は民族を越えて共通した思いだったように感じています。


古代インド文明よりも更に古い、恐らく人類史上最古の文明の一つである、メソポタミア文明の神話は、古代シュメール人によって創られたとされています。その後、この地域には数多くの民族が混じり合いました。そしてこの中に様々なエピソードが付け加えられていったのではないでしょうか。南部バビロニアのシュメール人の場合は、紀元前3000年以上の昔に人類史上最初の都市文明を発展させています。この高度に発達した大文明は、形成期のエジプト文明にも多大な影響を与えたとされているほど偉大なものだったのです。


これらの都市国家群の中でも、ニップールの主神であるエンリルは、全バビロニアにおける主神でもあり、諸都市の宗教的中心として崇められていました。これらの都市には、日乾煉瓦を用いた神殿やジッグラト(聖塔)が建てられていました。その跡からは多くの遺物が発掘されています。楔形文字,円筒印章,六十進法,法典の編纂など、後のバビロニア文明の母体を創造したのがシュメール人なのです。


バビロニアの南部がシュメールで北部がアッカドにあたります。ここでは紀元前2000年紀末から、アッカド帝国、ウル第3王朝、バビロン第1王朝、カッシート朝、イシン第2王朝、新バビロニア帝国、アケメネス朝など、諸王国が興隆と没落を繰り返しています。その間に諸民族の侵入が続き、チグリス・ユーフラテス地域の支配もまた激しく移り変わったのです。


アッカドの神話によると、太古には真水の男神アプスーと塩水の女神ティアマトが混じり合って、その中から神々が生まれたとあります。配偶神アプスーを殺されたティアマトが竜の姿になって戦う相手が、この後で最高神になるマルドゥクなのです。ティアマトがマルドゥクを飲み込もうとして口を大きく開けた時に、風使いでもある彼は強烈な風をその中に送り込みます。そのために、ティアマトは体が膨れあがり、口を閉じられなくなってしまったのです。この様にして動きを封じられたティアマトの中に、マルドゥクは矢を放ったのでした。その矢は彼女の腹を裂いて心臓を貫き、ティアマトを滅ぼしたとされています。


混沌の女神ティアマトとは、全ての生物の命の元である母なる海の女神でもあり、さらには悪竜の姿で悪魔の軍団までも持っている事になるのです。この後で、マルドゥクはティアマトの死体を二つに切り裂いて、天と大地を創ったとあります。ティアマトの体が二つに裂かれたときに飛び散った無数のかけらが、ひょっとしたらディアマン(ダイヤモンド=ギアマン)の由来なのかも知れません。さらにディアマンのかけらは、インドではヴァジュラとしてインドラ神の究極の武器に変わっていったのかも知れません。ちなみに、このマルドゥクの資質は大気と嵐の神であるエンリルのものを受け継いでいると言われています。


このように、古代バビロニアにおける二元論的天地創造神話において、竜は悪と暗黒の力が具象化したものと考えられていたようです。竜の概念は、ギリシア経由でヨーロッパに伝わるとドラコーンと呼ばれるようになり、神話的性格が薄れていきます。ちなみに、ドラコーンとは「鋭く見る者」という意味になります。この名前のとおり、竜とは宝物などを守っている存在として描かれている場合がほとんどです。その話の中で、彼らはついには神々や英雄たちに殺されてしまうのです。


一方、竜がユダヤに伝わると、彼らは神と戦って天使に殺される怪物として描かれています。ですから、こちらの方がより強く原話の色を残しているのではないかと思っています。しかし、ヨーロッパにおいても竜とは敵役ばかりではありませんでした。土着信仰として蛇と竜は混同されてきているようですが、この中では家を守る動物として広く崇められているとのことです。


インドにおけるインドラ神の物語は、シュメール神話の影響をかなり強く受け継いでいるように感じられます。それは、ここにおいても竜が悪の化身として描かれているからです。リグ・ヴェーダは、これを成立させた民族が、イラン方面から伝わった神話とともにやって来た事も物語っていると思います。いずれにしても、竜=蛇信仰をリグ・ヴェーダには見ることが出来ないのです。しかし、ヒンドゥー教の発達により(狭義の意味で使用のためバラモン教は含まず)、この概念はコペルニクス的転回を見せることになっていきます。


竜とは大蛇に翼や角あり、さらには猛獣や猛鳥の頭を組み合わせた伝説上の動物のことです。住んでいる所は水中や地中、もしくは天空とされています。古代インドの概念にサンスクリット語でナーガと呼ばれるものがあります。これは蛇を神格化したもので、人面蛇身の姿をした半蛇半神のことを意味していました。そしてインド民衆の間に広く崇拝されてきたのです。


ナーガは大海や地底に住んでいて、雲雨を自在に支配する力を持つとされています。この神が広く崇拝されて来た理由としては、逆説的かも知れませんが、インドには猛毒をもった蛇が数多く生息しているために、被害に遭う危険性が極めて高かったからではないかと思っています。


ナーガ信仰をリグ・ヴェーダにおいてはみる事ができません。インドラ神の神話とは、太古の昔にバビロニア方面からのインド・アーリア人の民族移動とともに伝わった神話の原型を色濃く残しているのが、その理由ではないかと思っています。つまり、言い方を換えれば、この神話はインドへの現地化がまだ不十分だったのではないかという事なのです。あるいは、移住してきた民族の現地化が十分ではなかった時点で形成されたもの、と言えるのかも知れません。彼らがインドの大地に根付いて一体化した(更なる融合した)形態こそが、バラモン教からヒンドゥー教へと続く道なのでしょうか。 インドの雄大な大自然の営みは、人類のそれと比べても遙かに古く大きなものです。ですから、インド大陸においてはリグ・ヴェーダが創られる以前から既に蛇神信仰が存在していたと考えても、不思議ではないように思っています。


ヒンドゥー教(狭義、バラモン教は含まない)や仏教には蛇=竜の信仰が見られます。インドの土着思想であるこの竜王思想が、ヒンズー教や仏教の中に取り入れられて、両宗教の伝播とともに広く各地に伝わって行ったのではないでしょうか。東南アジアにも各種の竜神伝説が残っている理由とは、以上のような要因が強いのではないかと思っています。


ナーガは、仏教においては仏法を守護する天竜八部衆の中に入っています。ちなみに、天竜八部衆とは、仏教を守護する異形の神々のことを指しています。天部、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ご羅迦の八神のことです。もとは古代インドの神々で鬼竜の類であり仏教に取り入れられたものなのです。


竜は雲を造り出し雨を呼ぶ事が出来るとされています。自然を自在に操る力のレベルはとても人間の力の及ぶところではありません。ですから、竜とは人間社会にとって、善い面も悪い面も、その両方に強い影響を与えるものであると考えられていたのです。仏法を保護し雨を降らせて五穀豊穣を私たちにもたらす善竜の概念は、八大竜王などを生み出して行きました。これは雨乞いの本尊として、中国に伝わったものと考えられています。そしてついには、中国皇帝の位に竜族の子孫が座るものとされていったのではないでしょうか。しかしながら一方では、人間社会に大災害を与える悪竜の存在も十分に認識されていたようです。これは大雨による大水害の悲惨さなどがイメージされて、形づくられたもののように思っています。ちなみに、雷の発する熱エネルギーは何と摂氏三万度にも達するそうです。超高熱によって回りの空気が一気に膨張した時に起こる音こそが雷鳴なのです。


竜の絵を見ると、必ずと言っていいほど玉を持っています。これが如意玉と呼ばれているものです。それを得た者は、欲しいがままの望みを全て手に入れることが出来ると言われていました。ですから、幸福の象徴のようにも見られていました。


ところで、竜は神話的な鳥類の王である迦楼羅(=ガルーダ)と敵対関係にあります。竜は迦楼羅には常に負ける運命にありました。これは、猛禽類が蛇を捕獲することからイメージされたものではないかと思います。ひょっとしたらですが、ガルーダが鳳凰の原型の一つなのかも知れません。さらには鞍馬山で有名な天狗やカラス天狗も、カルラの変形したものと見られています。なお竜は四天王である広目天の配下と見なされていました。


中国では麒麟、鳳凰、玄武などとともに、四霊獣に数えられているように別格のもとして広く人口に膾炙しています。さらに竜は、その四霊獣の中でも中心的な地位を閉めています。これは竜が水ないし雨に関係しているからだろうと見られています。水を操る霊獣を崇拝するのは、農耕民族である漢民族にとってはある種必然であったのかも知れません。だからこそ、黄河の氾濫を抑えること(治水)によって、人間の偉大さを体現して来た漢民族の頂点に立つ皇帝の印には、竜が飾られているのではないでしょうか。


さらに、水に対する関心は、雨乞いや星をみる天文学にまで繋がっていったように思われています。東シナ海でよく発生する竜巻も、同様の理由から名付けられたのかも知れません。これが竜が空を飛ぶと考えられた根拠の一つとされたのでしょうか。


日本でも竜はめでたいものであると思われてきました。神話には竜の神とは海の支配者である、海神の娘であると書かれています。すると、竜とは女性を象徴したものなのかも知れません。海幸彦、山幸彦の神話では、海神の血統も引き継いでいるのが天照大神の子孫であるとされています。浦島太郎に出てくる竜宮城の乙姫とも関係があるのでしょうか。


竜を海神として信仰してきたのは海の民の間で広く伝わってきたとの事です。遙か昔に、南方から流れ着いた私たちの祖先のDNAが、脈々と続いている証拠なのかも知れません。瑞穂の国と呼ばれる日本に住む私たち日本人とは農耕民族そのものです。農耕のための単純な雨乞いから始まって、季節の移り変わりを詳しく知るために空を見上げる事を続けていたとしても不思議はありません。このように空の移り変わりを見続ける事が、自然の恵みを得るための最良の方法であると判断したのは、私たち日本人先祖の知恵だったのだと思います。